パリ旅行(3) – 美味しいのに何かおかしい. . . .

Jan 6, 2012 | | 0 comments

今回のパリの旅行ではサンジェルマンデプレにある、とあるレストランで夕飯を食べた。アピタイザー2品、前菜2品、主菜1品、デザート1品のコースだ。食事、サービス、お店の雰囲気は総合していい感じのレストランである。ただ僕は一つだけ気にかかったことがあった。食事をして店を出てしばらくしてから思い始めたのだが。何かがしっくりこなかった。

それは何かというとアピタイザーの1品である。これは非常に小さいもので鯖のマリネにマスタードソース、パプリカ、大根などちょっと日本を意識したものだった。(もう1品のアピタイザーはごぼうを使ったもの)ここのレストランでは日本人の八百屋さんから野菜を仕入れているとのこと。ちょっとこのアピタイザー、御節料理を思い出してしまった。味は非常にいい、でも何かしっくりこない。

そこで気がついた。それは味ではない。どうプレゼンテーションされたかなのである。このアピタイザー非常に小さい。まあアピタイザーだからしょうがないだろう。でもそれをナイフとフォークで食べるのである。もちろん前菜様の小さめのナイフとフォークだが、それにしてもこの食事には大きすぎるのである。ケーキを食べるときに使うあの小さいやつがいいのではないかと思ったくらいだ。

つまりなにを言いたいかというと人はものを食べるときに食事の味だけを感じているのではない。食べるために使っているカテラリー自体も味としてまたは舌が感じるセンセーションとして感じているということだある。非常に小さい食べ物をそれに合わないサイズのフォークで食べたので味がちょとメタリックな感じがしてしまったのである。

御節料理はサイズ的には小さいが、箸で食べるので舌に触れるカテラリー(つまりこの場合は箸)の面積が非常に少ない。だから食べ物そのものの味を感じ取れるのである。日本の食べ物というのは、ほとんどが小さく切られ箸で食べられるようになっている。その点、西洋のものはナイフとフォークで自分で切り分けて食べる。しかもフォークは一般的に口の中に触れる面積が大きい。それにくらべ箸は口の中に触れる面積が少ない。しかも日本の箸のほとんどは木でできている。木というものは食べもの一種ではないか。

木の実や竹の子などがそうだ。だから口に含んでもあまり違和感がないのではないだろうか。だいぶまえのことになるが確か僕が一時期東京の表参道の近くのゲストハウスに住んでいた時だと思うがある西洋人の住人が箸で食べたほうが食べ物が美味しいといってパスタを箸で食べていたのはまんざらうそではなかったと今になって気づいたのである。

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